残像

 

 

もう待てないとばかりに押し倒してきた彼の顔はよく見えなかった。
橙色の髪の毛越しに見える蛍光灯がびかびかと眩しい。
眼球が痙攣して目の前が眩む。
白いシャツの第二ボタンが飛んだ気がする。
床に落ちる音は聞こえない。
気のせいなのかもしれない。
落下した小さな円形も、掴まれて抑え込まれた右腕が痛いのも、彼の眼が何か薄暗い情熱を宿しているように見えるのもすべて。
ただの見間違い、錯覚、幻覚、この世にあるものではないのだ。
きっとそうなのだと瞬時に思い込んでも、入り込んでくる生温かい舌の動きはまぎれもなく現実だった。
荒くなりはじめた息は二人分。
味蕾の上に流された唾液を飲み込んでしまったあとでは、抵抗することなどとてもできなかった。
目が眩む。
ちかちかと。
今日の彼は何かが違っている気がするけれど、背中に手をまわして同意を示してしまってはどうしたのかと聞き出す資格もない。
なんとなく恐ろしい。
しかし何がと聞かれたら明確に答えられる点など一切なかった。
普段動いてばかりの口が熱を孕んだ吐息を吐き出すだけで何も喋らない、きっと思いつくのはそれぐらい。



これから行われる交わりの淫靡さに反して部屋がこうこうと明るいのはどうにも落ち着かないが、そんなことで水を差すのも野暮な気がしたので何も言わなかった。
彼は気付いていないらしい。
乱暴に捲りあげられた服が鎖骨のあたりでぐしゃぐしゃになっている。
白にも、黄色にも見える電気の色。
エアコンの唸り。
覆い被さってくる彼の髪の毛が頬に当たる感触。
いつも通りなのにぞわぞわするのはどうしてなのだろう。
蛍光灯。
すべて見透かすかのような人工の光、そのせいなのか。
傷口を舐めあげられても、ぼんやりとした、どうでもいいその考えはまだ残っていた。
いつも消されている電気が今日は点いている、ただそれだけのことが気になるなんて病気じみている。
目が眩む、それだけのことなのに。
屹立が明りに晒されて恥ずかしい訳でもないのに。
交わりすぎて頭がおかしくなったのかもしれない。
少なくとも、黒っぽいTシャツを焦ったように脱ぐ様、それを見ただけで興奮してしまうぐらいには。

蛍光灯の光を背中に受けて少し暗く見える彼の顔を見ると嬉しそうに口角を上げていた。
早く中に入りたくてたまらないようだ。
太陽のような笑顔。
健康的な首。
なだらかな肩。

肩。

黒いハートの中に女がいる。
アーモンドの目。
泣き黒子。
吊りあがった口。
美しい曲線を描く身体。
豊かな胸。
蝙蝠の羽。
水牛のような逞しい角。
ピンヒール。
三又の槍。



悪魔。





初めて見る女の姿に目を奪われていると彼がやっと口を開いて言葉を発した。
ああ、忘れてた。
こういうの嫌かと思って今まで隠してたんですけどね。
もう見られちゃったし、いいや。
むこうにいるときにね、いつだったかなあ、誕生日に入れたんですよ。
いい女でしょ。
悪戯がばれた子供のような口調で簡単に言ってのける彼の表情には後ろめたさの類など一つも窺えない。
ああ。
なんてことだ。
悪魔は。
悪魔はお前じゃないか。



蛍光灯で目を傷めてから感じていた違和感の正体はこれだったらしい。
彼の左肩にずっといた、知らない女。
美しい女。
妄想ではなく現実の。
なぜだか分からないが、彼の顔がちゃんと見たくなった。
言い様のない不安。
なあ。
おまえはどんな輪郭で、今どんな顔をしてこの身体を発いているんだ。
毎日見ているはずのお前の眼、鼻、口、声、すべてが思い出せない。
太陽のように輝く髪、笑顔、それすらも。
この記憶は記憶の形を保ったままいつまでも頭の中に留まってくれるだろうか。
妄想に変わりやしないだろうか。
最後に残るのがあの模様だけに、ああ、考えようとするだけで湧きあがる深淵から這いあがれないこの嘆き。





女が、笑っている。

20150324

20150419

歌姫庭園出ます

カットは夏樹+やよいだけど

どうなるかな